2025年9月、東京・渋谷でイーサリアムのカンファレンスとハッカソンの祭典「ETHTokyo 2025」が開催された。世界中の開発者が集まり、創設者Vitalik Buterin(ヴィタリック・ブテリン)氏が登壇した特別セッションも行われた。
ビットコインの拡張性や開発の自由度に課題を感じていたヴィタリック氏は、2013年に新たな分散型アプリケーション基盤を目指すブロックチェーンのホワイトペーパーを発表。2015年7月にイーサリアムのメインネットが稼働した。昨年は、私たちがイーサリアムを使えるようになってから10周年の節目でもあった。
アニバーサリーイヤーの祭典には、スイスに拠点を置くイーサリアム・ファウンデーション(以下、EF)から多くの関係者が来日したが、中でも強い関心を集めたのが、2025年2月にEFの「President」に就任した日本人、宮口あや氏だった。2018年からエグゼクティブ・ディレクター(ED)として、50カ国以上のメンバーからなるチームを牽引し、イーサリアムの発展に貢献してきた中心人物だ。
誕生から10年を経たイーサリアム。ステーブルコインをはじめ、価値のトークン化、金融のオンチェーン化における基盤として、大きな存在感を示していることは言うまでもない。イーサリアムは何を目指すのか。日本のWeb3市場に対する思いとは、Presidentとして迎える2026年、宮口氏が語った哲学とは。
イーサリアムの10年と課題
──ヴィタリック氏がホワイトペーパーを発表してから、イーサリアムはどのように進化してきたのか。
宮口氏:ヴィタリックはもともとビットコインのコミュニティに深く関わっていたが、ビットコインだけでは実現できない世界があると感じていた。ビットコインは通貨のような役割としては優れているが、「アプリケーションを構築するための柔軟な基盤ではない」という不満を抱えていた。
そこで、より多様な人々が、より自由に分散型アプリケーションを作れる基盤としてイーサリアムを構想した。2015年のメインネット稼働から10年。今ではDeFi(分散型金融)からNFT、研究開発まで、多様な分野へ広がる生態系(エコシステム)になっている。
ただし、この成長は「完全に計画されたロードマップ」に従って生まれたものではない。イーサリアムはたくさんの人々の参加と偶然性が重なって進化してきた。デジタル公共財であることを大事にし続けるイーサリアムはインターネットの TCP/IPと同様の社会基盤の役割をする。ただ、社会実装という意味ではいまだに通過点に過ぎないと感じている。私たちの生活に深く浸透するまでには、まだ越えるべき壁がある。
テックプロジェクトから社会基盤へ
──2025年はEFの組織構造が大きく変わり、ご自身もPresidentに就任した。
宮口氏:分散型社会を実現しようとするなら、ブロックチェーン技術だけでは完結しない。例えば、オープンソースAIやプライバシー保護、公共インフラの研究など、「中央集権に依存しすぎない仕組みが必要だ」という共通の問題意識を持つ分野が多くある。
イーサリアムがこうした領域とどう連携できるかを考えるフェーズに入っている。イーサリアムが持つ哲学やテクノロジーが、周辺領域とどのように関わっていくのかを考えていくことが今の私の役割だ。
組織構造を変えたのは、イーサリアムを一つの「テックプロジェクト」から「社会基盤」へと成長させるためだ。理事会には私とヴィタリックがいて、長期的なビジョンを提示する。そのうえで2人のエグゼクティブ・ディレクターが、ファウンデーションとして実際に何を行うかを企画していく。
──Presidentと言うと、日本ではイメージしづらい。
宮口氏:直訳すると「理事長」になるが、日本人がイメージする姿とはおそらく違うので「プレジデント」を使っている。
エグゼクティブ・ディレクターを退任したというより、実際のニュアンスはトランジション(移行)に近い。役割の焦点がEFの内部からイーサリアム全体、そしてさらに広い範囲に広がったと捉えてほしい。
分散型技術の議論が世界的に広がる今、EFだけ、イーサリアムだけでは問題解決できないからだ。
「インフィニット・ガーデン」
──Presidentとして、イーサリアムをどのような方向へ導きたいのか。
宮口氏:私はイーサリアムの哲学を「インフィニット・ガーデン(無限の庭)」という言葉で説明している。
イーサリアムは、特定の誰かが完成形のプロダクトを作り上げる構造ではない。誰でも参加でき、成長の方向は誰にも完全には予測できない。多様なチームが共存し、複数のクライアントが動き、EF以外のプレイヤーも公共財としてのインフラを支えている。
自然界の生態系と同じで、時に思いがけないイノベーションが生まれることもある。こうして才能を一部に閉じ込めなかったからこそイーサリアムは10年間、最大のエコシステムを持つブロックチェーンとして生き残ることができた。
昨年の前半、私はヴィタリックと具体的に2つの目標を掲げた。
1つ目は、イーサリアムのユーザーを増やすこと。重要なのは単に利用者数を増やすのではなく、オープン性・プライバシー・検閲耐性など、イーサリアムの技術のもとにある価値観から明確な恩恵を受けるユーザーを増やしたい。
2つ目は、エコシステム全体のレジリエンス(芯の強さ)を高めること。レジリエンスとは、EFが一元的に支えるのではなく、多様な主体が自律的に動き、生態系全体で持続可能性を確保する状態を指す。
〈イーサリアムが目指す「無限の庭」のイメージ:イーサリアム・ファウンデーションのブログより〉
現在、イーサリアムという公共インフラを支える仕組みは、EFの助成金にとどまらず、多様な資金提供メカニズムに広がっている。例えば、ギットコイン (Gitcoin) や オプティミズム (Optimism)など、複数のコミュニティやプログラムが、これまでオープンソース開発や公共財プロジェクトへの支援を担ってきた。こうした取り組みの形態や役割は変化・発展しており、単一のモデルが支配しているわけではない。しかし、このような資金提供メカニズムの改革が EF 以外の主体によって継続的に生まれてきた点は、ブロックチェーンの中でもイーサリアム特有だ。
日本のコミュニティは公共財や信頼性への理解が深く、レジリエンスという価値観と親和性が高い。そのためETHTokyoのようなイベントが成功するのは自然なことだと言える。
──Presidentに就任してから約1年が経過したが、2025年は「インフィニット・ガーデン」の理念をどのように実践してきた年だったか。
宮口氏:年頭に行ったチーム向けのプレゼンテーションで、「Infinite Garden for growing CROPS」というフレーズを使った。CROPS(クロップス)は、Censorship Resistance(検閲耐性)、Open Source(オープンソース)、Privacy(プライバシー)、Security(セキュリティ)の頭文字を取った言葉。イーサリアムのプラットフォームや、その上で展開されるビジネスが成長していく中で、こうした価値観を妥協することは本末転倒だという問題意識を強めるためだ。
この「CROPS」という言葉は、次第にコアな研究者や開発者の間でも共通の表現として使われるようになっている。
社会実装の例としては、ブータンにおいて国民IDの仕組みがイーサリアム上に構築された。個人の身分証明をデジタルに行うこの仕組みは、政府の中央サーバーに依存せず、セキュリティやプライバシーを強化する設計になっている。私自身も関わってきたプロジェクトだが、国家レベルで長期的に運用される基盤として、イーサリアムが有効であることを世界に示す一例となったと考えている。
高校教師からブロックチェーンの世界へ
──これまでのキャリアについてお聞きしたい。高校教師から取引所大手のクラーケンを経てEFへ。ブロックチェーンやWeb3の魅力はどこにあったのか。
宮口氏:思い返してみると、分散型という言葉が生まれる以前から、社会の「歪み」に着目してきた。教師として働いていた当時から、「決まりだから守りなさい」という態度には違和感があった。
なぜその仕組みが存在するのか、本当に必要なのかを生徒と一緒に考えることを大事にし、教育システムの問題を含め、社会の構造そのものを変えていくことに興味が向いていった。
その延長で出会ったブロックチェーンは、私にとっては単なる技術ではなく「社会の仕組みを作り直すための技術かつ哲学」だった。自分はユニコーン企業を作るようなプロジェクトよりも、「社会を変えていくこと」に関わりたいと実感した。
──ブロックチェーンの中でも、イーサリアムに興味を持った決定的な理由は何だったのか。
宮口氏:最初に惹かれたのは技術よりも、その背後にある問題意識と情熱だった。ビットコインが抱えていた制約をどう改善し、より広いソリューションを提供できるか、その先には世界をより良くしたいという純粋かつ強い意志があった。その考え方にこそ強い魅力を感じた。教育現場で感じていたことと共通するが、既存の在り方にただ従うのではなく、仕組みそのものを変える側に関わりたいという気持ちが次第に強くなった。ブロックチェーンの世界に入ったのは、その延長線上にある。
「金融だけではない」
──「規制当局は金融事業者とはよく話をするが、開発者との対話が足りていない」と、登壇したセッションで話していた。どういう問題意識があるのか。
宮口氏:もちろん、全く対話がないわけではない。ただ、規制当局の議論は金融領域に偏りがちなことが言いたかった。
ブロックチェーンは金融だけの技術ではなく、プライバシーや社会制度にも活用することができる。マネーロンダリング対策(AML)の視点だけで規制を作ろうとすると、どうしても限界が生まれるだろう。
プライバシーが欠如した社会には、別の問題が生まれる。金融領域だけで規制を設計すると、思わぬ副作用が出る可能性がある。だからこそ、金融の枠に閉じない「もう一段上のレイヤー」で議論できる場が必要だと思っている。
イーサリアムは金融以外の領域にも活用できるが、ブロックチェーンのユースケースを考えると、どうしても数字が見える金融領域ばかりが注目される。日本でも長くその傾向が続いてきた。
私たちはDeFiのプロジェクトの功績を正当に評価している。ただ、そこだけが強調されると、ブロックチェーンという技術全体の可能性が狭まってしまう。だからこそ「金融だけではない」というメッセージを意識的に伝えていく必要があると感じている。
プライバシーとセキュリティを重視する理由
──世界が不安定さを増す中で、ブロックチェーンやWeb3はどのような希望をもたらせると考えるか。2026年を迎えるにあたり、日本のコミュニティや若い世代にメッセージをお願いしたい。
宮口氏:そもそも不安定な世界を生まないためにはどうすればよいのか。仕組みを多くの人にとって分かりやすくすること、力の不均衡を生まないガバナンスのあり方を設計すること、正しい情報がきちんと伝わる環境を整えることなどが必要だ。
同時に、すでに不安定になってしまった社会にどう対応していくかという「ディフェンス力」も欠かせない。
ブロックチェーンは、この二つの課題に有効なツールを生み出せるプラットフォーム。私たちがプライバシーやセキュリティを重視してきたのは、こうした問題意識とつながっている。
日本にとっても、暗号学を含め、この分野の人材をどこまで育て、強化していけるかは重要な課題だ。イーサリアムのエコシステムには、すでに日本の優秀な才能がさまざまなレイヤーで参加している。だからこそ、柔軟な規制のもとで才能が育つ環境を整えていくことの重要性を、改めて強調したい。そして日本のコミュニティや若い世代には、それぞれの強みを生かして参加できる分野が必ず存在することを信じ、探求を続けてほしい。
宮口あや(Aya Miyaguchi)
イーサリアム・ファウンデーション プレジデント
2018年にイーサリアム・ファウンデーションのエグゼクティブ・ディレクターに就任。オープンソース、分散性、パーミッションレスを中核とする「インフィニット・ガーデン(無限の庭)」のビジョンのもと、インフラ技術の研究・開発、コミュニティ発展・教育プログラム支援などを通じて、グローバルなイーサリアム・エコシステムの持続的成長を牽引した。2025年にプレジデントに就任。引き続きビジョンを守りながら、イーサリアムの長期的な発展と、外部社会・制度との健全な関係構築に取り組んでいる。
|インタビュー・文:橋本祐樹
|写真:昨年9月、ETHTokyo 2025で来日した宮口氏(撮影:NADA NEWS編集部)

